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2016
02 /
11

2006 → 2016

新年、あけましておめでとうございました。。。

社畜になると、迂闊に書けないことも多く、
めっきり放置ランドでありますが、ちゃんと生きてます。


年があけ、2016年になった、ということで、久しぶりに筆をとる。

2006年は、大学生になった年で、
なんと、それから10年も経ってしまったことに、焦る。


昔を振り返るのは、おっさんくさいし、かっこよくないが、
10年と知って引くと共に、節目に思わず回想。。



大学・院の6年間は、
今後こんなときは来るのか?というぐらい素晴らしい時代であった
と、今でも思う。

理由は、次の2つに尽きる。

(1)H学園で塾講師をしたこと

愉快で優秀な学生講師仲間と出会え、一緒に働けた。
この人のようになりたい!と思える方と巡り合え、
一生もののつながりとなった。

学生ながら、社会人のような働き方ができて、
働くことへの自信がついた。

当時汗をかいて身に着けた

・わかりやすく説明すること (授業)
・伝わる資料を作ること (テキストや模試作成)

は、今でも役に立っている。

(バイト講師なのだが、)
いわいるアルバイトとはちょっと違うノリで働けたことで、
どんな仕事をしたいか?
真剣に考えるようになっていた。

いろいろな場所へ教えにいって、生息範囲が広がった。
大阪とか奈良とか。

夏には、名古屋教室に行かせてもらった。
その移動の際に、今の会社で働くことを意識するきっかけとなった。

順序を学んだ。


学園での日々は、私の大学生活そのものであり、
ここで働いていなかったならば、今の自分はない。


(2)京都で一人暮らしをできたこと

大体の人にとって、大学生活って、
素晴らしいものなんやとは思うが、
「京都の学生生活」 は 別格やと思う。

そして、下宿であれば、さらに素晴らしい。

京都には、一人暮らしをしている学生が多いから、
自分の大学以外にもいろんな人と出会えた。

京都に住んでると、昼夜を問わず集まって、
自分たちのペースで遊べた。

らんどでなべ会をして、カタンをして、
北パチ、自遊空間で明かした夜は数えきれない。

下宿をさせてくれた親に感謝である。
自分の子供にも、京都で学生生活をさせてあげたいと思う。



このランドは、そんな京都での学生時代、
経験したこと、感じた事を残しておこう、と思い、
前出の先輩の真似をして始めたものである。

たまーに読み返すと恥ずかしくて死にたくなるが、
書いててよかった、と思う。


超閑散でシャッターらんどではありますが、
このランドは、そんな大学時代に出会った人の目に(たま~~に)触れる
ことを前提に書いています。

がむしゃらに学園をして、
不器用にもがいて就職先を決め、
最後の1年、下宿はやめてしまっていたが、

今しかできないことは何だ? どう過ごすべきか?
と自分なりに考え、

やったのは、大学で出会ったいろんな人と色んな旅行をすることでした。

学園、ちかんはまぁその時点で一生ものやったのでおいといて、

特に、このまま社会人になったら、もう集まらなくなってしまうかも?
というグループで意識して旅行しまくったのは、大正解だった。



大学時代に出会って、今でも仲良くしてくださっている方々。
つまり、このランドに(5年に1度ほど)来園してくださる方。
全員、私の一生の宝ものです。ありがとうございます。

社会人になっても、
年に数回でも、あなた方に再会できるのを楽しみに日々頑張っています。

会えてない人も、忘れているわけではありません。

次の10年が経っても、
気おくれせず、胸を張って色んな人に会える自分でいるよう、
前進したいと思います。

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2015
01 /
17

1995.1.17

20年経っても忘れられないこと。
小1の3学期の始業式の日だった。

揺れに飛び起きて、食卓の下に潜り込んだ。食器棚が倒れてきて、ガシャーンと目の前で止まった。
机の下にもぐってなかったら、食器棚の下敷きで生きていたか、わからない。

家の周りのマンションは漫画のように45°傾き、商店街の屋根はぺっしゃんこになっていた。
町内では同じ幼稚園だった友達が亡くなった。

家はぐちゃぐちゃになったので、みんな近くの小学校に避難してた。
家族3人で学校についたけど、教室の後ろの方の棚が近いとこしか空いてなくて、
そこは余震が来たら崩れてくる安全でないとこだった。

気遣ってくれた、近くの若い夫婦が小さいのに大変だねといって缶ジュースを1本分けてくれた。
その人たちだって自分たちの飲み物が十分あるわけではないのに。
それがすごくうれしくて、今でも鮮明に覚えている。

みんな自分が生きるか死ぬかわからないのに、お互い励ましあって優しかった。

コンビニでポテチ3つが1000円で売られてた。カップ麺も3つ1000円で売られてた。誰も湯なんて沸かせへんのに。
どこどこのガスタンクが漏れてるからやれ北に逃げろ、やれ南に逃げろってデマが流れてた。

西の方は火事がすごい、と聞いて、名古屋のばあちゃんちにいくことになった。地震から3日後くらいだったと思う。
大阪くらいまで来たら何ら普段と変わらない様子で拍子抜けした。

2か月ほど名古屋で過ごして、2年生の1学期から学校再開。
ガス、電気、水道が復旧して、子供ながらにほっとした。
自衛隊の人が公園や学校のグラウンドに来てくれて、炊き出しや仮設の風呂を作ってくれた。

がんばろう神戸 を刻んだユニフォームでオリックスが快進撃。イチローフィーバー。
大惨事の割に案外早く街は復旧していった。

2012
03 /
03

人生の岐路において。

1年前の今ごろ、添削してもらったESを見返した。

どえらい労力をかけてくださったのだと改めて思った。

当時はあくせくしてたけど、今見るとスゴイ手を焼いてくださってる。。

らいす、いぬいさん、くにゆき、かくちゃん、奥田のみなさま…

感謝は絶えない。


だからこの半年、今度は自分が奥田を必死に頑張ったし、

今日は自分の行く会社を受ける後輩に手を焼いた。これでもかというくらい。

2012
01 /
05

常在戦場

冬の出稼ぎ期間が終わった。

今年はあまりやらなかったが、
久々に学園をやってきた。(とはいえ、計5日間)

西宮に顔を出したら久しぶりに色んな人に会えた。
学生の先輩はもうおらず、ベテランと後輩ばっかりである。

しんどかったこと、つらかったこと、
くやしかったこと、うれしかったこと、
たのしかったこと、順序をまちがったこと、、、

色々と思いだした。

色んなことが6年間あったが、
学園で子牛をして、本当によかった、と思う。

自分が感じたこと、卒業までに書きとめておきたい。
執筆の意欲が出ることを願う。


また貯金をすり減らし、時間と金の価値の妥協点をとりながら、
初任給まで耐え忍ぶ日々である。

2011
12 /
05

のむさん くわさん

一流の野球選手がメジャーに流れていくことについての
ノムさんと桑田氏の対談が素晴らしすぎた。


話題がダルビッシュについての時、

本当は日本にいてほしいが、本人が行きたいのなら尊重してあげたい。
とする桑田氏に対し、

その考えはいかにも現代っ子だ、というノムさん。
自分一人で活躍したような勘違いをしていて、
育ててもらった日本の野球に対する感謝の気持ちを忘れてるのだという。

それに対し、桑田氏は、
一度メジャーで違う世界を経験し、さらに高めた力を
指導者として、日本の野球に還元する道もある、
との持論を展開。


改めてこの二方の素晴らしさに接することができた。

限りある公共の電波で言葉を発する人間は、その影響力を自覚し、
こうゆう高い次元の意見を述べる覚悟で出演する責任がある、と思う。


なお、ダルビッシュのメジャー、と聞いた瞬間、
「いや、サエコとの財産分与が、、、」とか光速で思ってしまった自分は
すでに野球を純粋な目で見れてへんのかもしれんw 反省。

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